妖怪は、まだそばにいる。
今すれ違った人は、本当にこの世の人でしょうか。
こんにちは。ねこです。盆踊り、逢魔が時、暗い夜道にいた妖怪たち。昔の日本には、あの世とこの世をはっきり分けすぎない感覚がありました。
今は夜中でも街が明るく、分からないこともすぐに検索できます。それでも、妖怪や不思議なものが消えたとは、誰にも言い切れません。
昔とは姿や居場所を変えながら、今もねこたちのすぐそばにいるのかもしれません。
お盆は亡くなった人が帰ってくる時間
お盆は、ご先祖様や亡くなった人を迎え火を焚いて家に迎え、しばらく一緒に過ごして、再びあの世へ送り出す行事です。
ご先祖様は、キュウリやナスで作った馬や牛でやってきます。なんて素敵な風習なんだろうっていつも思います。大好きなおばあちゃんやおじいちゃんが馬や牛に乗って帰ってくる…考えるだけでワクワクします。
普段は別々に暮らしている、この世の人とあの世の人。その境が、お盆の間だけ少し曖昧になります。
亡くなった人が本当に帰ってきているのか、ねこには分かりません。
けれど、お盆になると仏壇に花を飾り、好きだった食べ物を供え、「帰ってきたかな」と話しかける人は、今も少なくありません。
そして、帰ってきている、帰ってきてほしいと思っている限り、遠くに行ってしまった人や動物たちは帰ってきてくれるんだと信じています。
だから、本当に帰ってきているかどうかを証明できなくても、帰ってくる場所を用意して待つ。その感覚を、ねこはとても優しいと思います。
盆踊りの輪にいるのは、生きている人だけ?
夏の夜、提灯の明かりの下で、大勢の人が輪になって踊る盆踊り。
今では地域のお祭りという印象が強いですが、盆踊りには、亡くなった人を迎え、共に踊り、送り出すという意味もあります。
昔は、お面や覆面で顔を隠して踊ることもあったといわれています。
顔の見えない人たちが、暗い夜の中で同じ輪に加わって踊る。
その中に、あの世から帰ってきた人が混じっていたとしても、誰にも分からなかったのかもしれません。そして、一緒に踊って、一緒の時間を共有する…なんて素敵な時間なんだろう。なんて素敵な考えなんだろうってねこはいつも思っています。

踊りが大好きで上手だったおばあちゃんは、きっと、櫓の上で踊っているのかもしれない。そんなふうに思うとちょっと嬉しくなります。
あの世とこの世の人が一緒に踊る
盆踊りの輪の中では、身分や年齢に関係なく、みんなが同じ動きを繰り返します。
そこでは、生きている人と亡くなった人の区別さえ、必要なかったのかもしれません。
亡くなった人にもう一度会いたい。少しだけでも、一緒に過ごしたい。
そんな願いを、盆踊りは受け止めてきたのでしょう。
怖いようで、どこか懐かしい。知らないはずなのに、昔から知っていたような気がする。
ねこは、盆踊りにあるそんな不思議な感覚が大好きです。
逢魔が時には、何かとすれ違うかもしれない
昼が終わり、夜が始まる夕暮れどきは、「逢魔が時」と呼ばれてきました。
人の顔や道の先が見えにくくなり、人と人ではないものが出会う時間だと考えられていたそうです。
昼でも夜でもない。明るくも暗くもない。
どちらとも決められない時間だからこそ、この世とあの世の境も曖昧になったのでしょう。
ねこは、昼でも夜でもない曖昧な時間に人通りがない道を歩くのが大好きです。もしかすると、人外の何かとすれ違っているかも…目の前を走っていった猫は、昔飼っていた子かも…そんな風に思いながら、そして、曖昧さの向こうに何があるのかを想像しながら歩く…。曖昧な世界に行きたいと願いながら。

今すれ違った人は、本当に人だったのか
夕暮れの道で、誰かとすれ違う。
何となく気になって振り返ったのに、そこには誰もいない。
見間違いだったのかもしれません。道を曲がっただけかもしれません。
でも、人ではない何かだった可能性を、完全に否定することもできません。
「そんなものはいない」と決めつけず、分からないものを分からないままにしておく。
昔の人には、そういう心の余裕があったのかもしれません。そして、「もしかしたら…」って気持ちをなくしたくないと思います。
昔の夜には、妖怪が存在できる余白があった
今は、夜中でも街灯やコンビニの明かりがあります。スマートフォンを開けば、暗い場所でもすぐに光がつきます。
けれど、昔は日が沈めば、本当に暗くなりました。
道の角も、木の陰も、向こうから歩いてくる人の顔も、よく見えません。
その暗さの中には、人間には分からないものが存在できる余白がありました。
怖いから想像する。想像するから怖い…。でも、その怖さの中に生きていく術を教えていたのかもしれません。
驚かせるだけの妖怪「うわん」
「うわん」という妖怪がいます。
道の角や古い家の近くに現れ、人が通ると突然「うわん」と声を上げて驚かせる妖怪です。
襲いかかるわけでも、命を奪うわけでもありません。ただ驚かせるだけ。
本当に妖怪だったのかもしれません。
風や動物の声だったのかもしれません。
もしかすると、近所のおじさんが暗がりに隠れ、通行人を驚かせていただけなのかもしれません。
正体が分からないからこそ、「うわん」という妖怪が存在できました。
妖怪が住める場所とは、分からないものを無理に消そうとしない、優しい場所なのだとねこは思います。
そして、いつも、我が家にも妖怪が来てくれないかなって思っています。そして、どんな妖怪と一緒に暮らしたら楽しいかなって考えるだけでワクワクします。
妖怪は本当にいなくなったのでしょうか
街が明るくなり、科学が発達したことで、妖怪は姿を消したように見えます。
でも、妖怪が絶対に存在しないと立証できない限り、その存在を完全に否定することもできません。
昔の妖怪が暗い山道や古い家にいたのなら、現代の妖怪は別の場所へ移ったのかもしれません。
妖怪はスマホやLINEの中にいるかもしれない
誰も送っていないはずのメッセージ。
消したはずなのに、いつの間にか戻っている写真。
亡くなった人のアカウントから届いた通知。
画面に一瞬だけ映った、知らない顔。
昔なら「暗がりに何かいた」と語られた出来事が、今はスマートフォンやLINEの中で起きているのかもしれません。
妖怪は消えたのではなく、時代に合わせて姿と居場所を変えただけなのではないでしょうか。
妖怪も、きっと考えて自分たちが住む場所を探しているんだと思います。それが、スマホの中や昔からある暗がりの中、もしかしたら、煌々と明るい24時間営業のコンビニの中に居場所を見つけた妖怪だっているかもしれません。
彼らは、ねこ達が思っているよりずっとたくましく順応力が高いのかもしれません。そう思うと、楽しくなるのはねこだけでしょうか。
アマビエが再び現れたとき
新型コロナウイルスが広がったとき、疫病退散の妖怪として「アマビエ」が再び注目されました。
多くの人がアマビエの絵を描き、商品やお守りにし、病気が収まることを願いました。
医療や科学が発達した現代でも、人は不思議な存在に願いを託しました。
日本人の心の中には今も、分からないものをすぐに否定せず、不思議なものとして受け入れる余力が残っているのだと、ねこは信じたいです。
妖怪が住める世界は、自分と違うものを認められる世界
妖怪は、はっきりと分類できない存在です。
異形のもの。曖昧なもの。存在しないといわれるもの。存在すると信じられているもの。
怖くて受け入れられないのに、なぜか心から消えないもの。
妖怪は、どちらか一方に決められない場所にいます。
分からないものを、分からないと言える心
分からないことを、無理に分かったことにしなくてもいい。
怖いものを、怖くないふりをしなくてもいい。
自分とは違う世界を、すぐに否定しなくてもいい。
すべてを理解できなくても、同じ世界に存在することはできます。
妖怪も、人間も、動物も、それぞれ違うまま、互いの存在を認め合って生きていける。
ねこは、そんな世界に行きたいと、いつも思っています。
あわせて読みたい不思議な話
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お盆の夜は、境のない曖昧な世界

お盆は、亡くなった人がこの世へ帰ってくるとされる時間です。
盆踊りでは、この世の人とあの世の人が同じ輪の中で踊り、逢魔が時には、人と人ではないものがすれ違う。
昔の暗い夜には、妖怪が存在できる余白がありました。
今は夜が明るくなっても、妖怪がいなくなったとは限りません。スマートフォンやLINEの中など、新しい場所へ移り、ねこたちのそばで生き続けているのかもしれません。
分からないものを分からないまま受け入れることは、自分とは違う存在に居場所を残すことでもあります。
そして、ねこはいつか百鬼夜行の中に混じって、妖怪たちと一緒に夜の道を練り歩きたいと、本気で思っています。
もしかすると、その行列は今夜もどこかを通っているのかもしれません。今夜は我が家の上を通ってくれないかな。
今日もお付き合いいただきありがとうございました。
ではでは。
妖怪や不思議な物語の世界を、静かな夜に耳で楽しむのもいいですね。
