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Café yakhtarが紡ぐ物語 第10話【ある家族の物語】 前編

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夜の静けさがCafé yakhtarを包む。ステンドグラスのランプが柔らかく光を落とし、異国の香りを漂わせるキャンドルが、店内にほの暗い暖かさを添えている。

空は窓の外の夜景をじっと見つめ、微かに胸を震わせていた。その空を、マスターは静かに見守っている。終わってほしい気持ちと、終わらせたくない気持ちが交差する瞬間、ドアのカウベルがカランと鳴った。

ドアの前に、少しためらうように立ちつく30代くらいの男性がいる。彼は店内を見渡し、静かに「…あぁ」とつぶやく。

マスターは優しく微笑み、「どうぞ、こちらへ」とカウンターの椅子を勧める。男性は誘われるままに座り、うつむいて自分の手をじっと見つめる。空は男性を横目で見つめ、彼の緊張が伝わってくるかのようだ。

「ここは、トルココーヒーとアイスコーヒーしかないんですよ」マスターが静かに告げる。

男性は少し考えてから、おうむ返しに「トルココーヒーとアイスコーヒー…」と言い、少し迷った表情で「アイスコーヒーをお願いします」と答える。空は思わず男性の顔を見上げる。その目は、悲しみと迷いに揺れていた。

「アイスコーヒーですね」マスターは静かに手を動かし、水出しコーヒーの専用器具で昨日、作っておいた水出しアイスコーヒーを冷蔵庫から取り出し、氷を入れたグラスに注ぎ始める。氷が「カラン」と音を立て、店内の静けさを際立たせる。

その間、男性は口を開き、低い声で語り始めた。「仕事が忙しくて、家族と過ごす時間がほとんどなかったんです。やっと休みが取れたので、10歳になる息子と妻を遊園地に連れて行きました。息子がずっと行きたがっていた場所でした。楽しくて、閉館まで遊んで…。でも、帰りの運転中、疲れで居眠りをしてしまい、対向車に正面衝突してしまったんです」

男性の声は震えていた。「とっさにハンドルを切ったので、僕は助かった。妻も子どもも、僕が仕事で疲れていたのを知っていたから、今度でいいよって言ってくれていたのに。…それでも妻や子供の喜ぶ顔が見たくて、無理して遊園地に行きたいと言った僕のせいで…」

「僕は、妻と子どもを守ろうとしてハンドルを切ったのに、体は正直だ。自分を守ってしまったんだ」彼は手元のグラスを見つめ、深く息を吐いた。

アイスコーヒーを待つ間に出されたデトックスウォーターが、透明な水面に細かい波紋を作る。空はその様子を静かに見つめながら、男性の苦悩が胸に迫るのを感じていた。店内には、ステンドグラスの柔らかな光と、異国の香りが漂うキャンドルの暖かさだけがあった。

「どうしたら、妻や子供に謝れるのか。どう生き直せばいいのか…」男性の目には涙が滲み、声は途切れ途切れになった。空は彼の手元のグラスを見つめる。その氷がゆっくりと溶け、透明な液体だけになっていく様子が、時間の流れを象徴しているかのようだった。

「でも、この店なら…」男性はふと口をつぐみ、ゆっくりと息を吐く。空は静かに瞬きをし、ただ彼の心の揺れを見守った。Café yakhtarの空間は、外の騒がしさとは違う時間の止まった場所のようだった。ここでなら、自分の罪や後悔、そして希望すら、そっと見つめ直すことができる。

マスターがアイスコーヒーを男性の前にそっと置く。「お待たせしました」男性はグラスを手に取り、ゆっくりと香りを吸い込む。氷が触れる音とともに、心の緊張が少しずつほどけていく。

一口、アイスコーヒーを口に含み「…ごちそうさま」とグラスを置く。男性の声は、かすかに震えながらも、どこか救われたような響きを持っていた。空は静かに彼の肩越しに店内を見回す。ステンドグラスの光が氷の溶けるグラスに反射し、まるで時間の粒が舞うように煌めいた。

外の世界の騒音は遠く、ここには静かで、でも確かな温もりがあった。男性は深く息をつき、初めて自分の心を少しだけ解き放ち、内面を見つめているようだ。

そして、静かな夜のCafé yakhtarの空気の中で、彼の長い後悔と罪悪感が、少しずつ形を変えていくのを空とマスターは見守っていた。

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