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Café yakhtarで紡ぐ物語:第4話 前編 – 彼女の選択

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彼女がカフェの扉を押して入ったとき、マスターは静かに微笑み、中央の席をすすめた。窓から差し込む光が淡くカウンターを照らし、その真ん中に腰を下ろす。

彼女はスマホを取り出しかけて、ためらい、画面を下にしてカウンターへ置いた。音の鳴らないサイレントモードは、彼女の癖のようなものだった。

最近、夫から「そろそろ子どものことも考えてもいいんじゃないか」と言われた。年齢のことを考えると、確かに遅くはない。けれど、仕事もようやく軌道に乗り、充実を感じ始めている。心の奥では、不安と期待がないまぜになっていた。

ふと、昔の恋を思い出す。かつて彼女には夢を追う恋人がいた。彼は海外に渡ることを決め、共に来てほしいと誘ったが、彼女は未来への保証のなさに不安を覚え、踏み出せなかった。

あれから彼は、異国の地でアーティストとして名を広げていた。自分は、どうするべきだったのだろう。あのとき一緒に行っていれば、違う人生が開けていたのかもしれない。

だが今の生活に不満があるわけではない。むしろ穏やかで、支え合える夫との関係は安定している。彼は理解があり、仕事も家事も分かち合ってくれる。経済的にも安心があり、友人に近い同志のような結婚生活。

愛が激しく燃え上がる「動」なら、今は「静」。けれど、もし子どもが生まれたら、この均衡は壊れてしまうのではないか——そんな漠然とした不安が彼女の胸を締めつける。

「お飲み物は?」マスターの声が思考を遮った。カウンターには、熾火に砂を乗せた器具が静かに輝いている。 「ここでは、トルココーヒーか、アイスコーヒーしかありません。」 彼女はその光景に心を奪われた。

深い香りが漂うようで、異国の空気を胸いっぱいに吸い込むような気持ちになる。 「……トルココーヒーをお願いします。」 彼女は小さく微笑み、決意するように言った。

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