カウンターに5つある椅子の真ん中に当然のように彼女は座った。
じっと前を見つめていると、カフェの雰囲気そのままの優しい声のマスターが「ここは、トルココーヒーとアイスコーヒーしかありませんよ」とささやくような、でもよく通る声で説明しているのをどこか違うところで聞いているようだった。
そして、やはり、どこか違うところで私が「トルココーヒーを」と言っているのを人ごとのように聞いていた。
私の怒りはまだ消えない。けれど、何日も考えて考えて、私は悟った。
プライドよりも、言いたいことを言うことのほうが大切だということに。
「私はあなたに尽くしてきた。子どもを諦めたのも、あなたの望みを受け入れたから。
なのに今になって、子どもができたから別れるなんて、勝手すぎる」
声が震えた。けれど、それでもいい。もう抑える必要はない。ここには、もう二度と来ない。だから、変なおばさんが独り言を言っていると思われても構わない。
今の私には、思っていることを口に出して、自分で確認することが大切だった。
財産も、慰謝料も、しっかりと請求する。ちゃんと公正証書にして残す。
それは復讐ではなく、これからの自分を立て直すために必要なこと。
傷つけられたままでは終わらせない。私は私の人生を取り戻すのだ。リスタートが遅いわけはない。遅いか遅くないかは、私が決めるのだから…
マスターが目の前に差し出してくれたトルココーヒー。
小さなカップの表面に浮かぶ泡が、静かに揺れている。
上澄みをそっと口に含むと、濃厚な香りと苦味が胸の奥を満たしていった。
ささくれだった心が、少しずつ落ち着きを取り戻していく。
苦味のあとに残る甘さが、まるで「これからは大丈夫」と囁いてくれているようだった。
飲み終えたカップの底に沈んだ模様を、マスターがちらりと覗き込む。
「強くて、しなやかな道が見えますよ」
占いというよりも、励ましのような言葉。けれど不思議と心に響いた。
そう、私はプライドに縛られるのではなく、強く、したたかに生きていこう――。
そう、はっきりと決意できた瞬間だった。
気持ちはまだ収まらない。けれど、少しずつ未来が見えはじめている。
愛に裏切られた痛みも、やがて私を強くするはずだ。
そう思うことで、やっと深呼吸ができた。
帰り際、私はハンキングチェアにいる空に向かってつぶやいた。
「私の夢はね、猫と一緒に暮らすことだったの。夫がアレルギーで飼えなかったから……」
そう言って、自然と笑みがこぼれる。
空はただ揺れながら、静かにこちらを見ていた。
扉のベルが軽やかに鳴る。私の人生は、確かにここから新しく始まる。
傷ついた心を抱えながらも、したたかでしなやかに――。
そう誓いながら、私はCafé yakhartを後にした。
