50代前半。仕事も家庭も順調で、世間からは「パワーカップル」と呼ばれるような生活を送ってきた私。
夫との暮らしには大きな不満もなく、子どもは持たなかったけれど、それでも二人の人生を積み重ねてきた。
だからこそ、夫から切り出された言葉に、頭が真っ白になった。
「君と別れたい。彼女に子どもができたんだ」
まるでドラマのセリフのように、淡々とした声で告げられる。
私が子どもを望んだとき、夫は「二人だけで生きていこう」と言ったのに。
今になって、愛人に子どもができたから別れたい――そんな理不尽があるだろうか。
胸の奥が焼けつくように熱くなる。
「私は産めなかったから捨てられるの?」
心の中で叫ぶ。大声で怒鳴り散らしたい。けれど、プライドが邪魔をして言葉にならない。
テレビドラマなら泣き叫ぶシーンなのだろう。もしくは、整形したり人を使って復讐を遂げるのだろう。
だけど私は、泣くことも怒ることもできずにいた。ドラマではなく、現実の場合、言われた方は無力だ。
夫は言う。「慰謝料も財産もすべて、君の言うとおりにする。ただ、やり直すことはできない」
その言葉が、心に深い刃を突き立てる。
一度決めたら決して揺らがない。それが彼の性格だと、私はよく知っているから。
怒りと悔しさと、どうしようもない喪失感。そして、虚無感…
すべてを抱えたまま、私はCafé yakhartの扉を押した。
店内はいつものように、やわらかなランプの光に包まれていた。
ハンギングチェアに座る空は、何も語らず、ただゆったりと揺れている。
その沈黙が、逆に私の心を落ち着かせてくれた。
何も言葉をかけられないのが、こんなに心地よいなんて。
無理して笑顔を作る必要もない、誰かに話したくても話せない…そもそも、相談できる友人が思いつかなかった。
自分と彼と仕事を選んで歩んでいくうちに、切り捨てていってしまったものの大きさに気づかされたのも最近だった。
自分は空っぽだ…そう思いながら歩いていて偶然見つけたのが、Café yakhartだった。暖かい灯に吸い寄せられる蛾みたい…と自嘲気味に笑ってドアを押したのだった。

