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専門家の言葉は正しい。けれど、心はそんなに早く追いつかない。

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看取りのあと、心が追いつかない時間|ペットロスは人それぞれ

正しい言葉が、いまはつらいときがある

おはようございます。ねこです。

「ペットロスの人には寄り添って、話を聞いてあげてください」——。

専門家が語る言葉は、きっとその通りだと思います。
看取りについても、延命についても、飼い主が知っておいた方がいいことはたくさんある。頭ではわかる。だから、専門家が言うことは、きっと正しい。

ただ、ねこ自身は、我が家の猫たちを「ペット」ではなく、家族だと思っています。
だからこそ、「ペットロス」という言葉にも、どこか抵抗を感じてしまうのかもしれません。

それでも。専門家の言葉を聞いたり読んでも
飼い主の心が、どこかに置き去りにされているように思えるのは、ねこだけでしょうか。

実際にその場に立っている飼い主の心は、そんなに整然と動けません。
言葉を受け取る前に、感情が詰まってしまう。
寄り添ってもらうこと自体が、苦痛に感じる時期もあります。

この記事は、看取りの正解や、ペットロスの乗り越え方を書く記事ではありません。
「正しいことが、いまはつらい」
その時間が、確かにあることを、静かに残したいと思います。

目次

看取りは「判断」ではなく、ただ一緒にいる時間だった

犬猫にも延命の意思が問われる、といった言葉を見かけます。確かに、治療の選択肢があるからこそ、決めなければならないことが出てくる。
でも、実際の看取りは、紙の上の選択肢のように整理できるものではありませんでした。

呼吸が浅くなるのを見つめる。手のひらに残る体温を感じる。
頭で考えるより先に、体が「一緒にいる」ことだけを選んでいく。

そして、ただただ、ミミちゃんと一緒に過ごした思い出話を話し続ける…ねこをじっと見つめる黒目がちな瞳。「全部聞こえているよ」と言っているような眼差しを受けて、泣きながら、ずっと同じことになっても話し続ける。話していれば、逝かないような気がして…

最後にねこを見つめながら、すっと息をする。「あ、逝っちゃった」小さくなる鼓動…

正しい判断をしたかどうかなんて、その瞬間には考えられない。
ただ、ここにいる。——それしかできない時間がありました。

寄り添ってもらうことすら、苦痛に感じる時期がある

ペットロスの人には寄り添って、話を聞いてあげて。
それは、たしかに正しい。
だけど、最初の時期は違います。

少なくとも、ねこは、誰かと話せなかった。
言葉が出る前に、涙が出る。
誰かに触れられることが、つらい。

嬉しさは誰かと共有できても、
悲しさは、誰とも共有できない。
同じフィールドに立っていないことが、はっきりわかってしまう瞬間。

自責の念と後悔が、頭の中を何度も回ります。

「あのとき、ああしていれば」
「本当に、これでよかったのか」

そして、亡くなった子との二人だけの時間が、どうしても必要になることがあります。
誰にも見せたくない。
誰にも触れられたくない。

その静けさの中でしか、息ができないこともあるのです。

亡くなったあと、現実は淡々と進んでいく

箱に保冷剤を詰めるとき、思いました。
「こんなに保冷剤を入れて、体が冷たいだろうな。寒くて可哀想だな」

そして、少しでも暖かいようにタオルで包んで、お花を周りに飾る。
手は勝手に動くのに、少しずつ冷たく硬くなっていく体が、現実を突きつけてくる。

そして、ペットの火葬会社を探して連絡をする…。年末だったので、なるべく早く来てもらえる時間を確認して、金額も確認する。
全部を自分一人で、淡々と決めていく。今、考えると、生前からちゃんとペットの火葬会社を決めておけばよかったと思います。そうすれば、慌てることなく、もっと納得がいくお別れができたかもしれません。

不思議なほど、声は落ち着いていました。でも、やっぱり、声は震えるし、最後は涙声になります。
やらなければいけないことがある間は、心を置き去りにしないとできないけれど、それでも手は止まり、涙が出ます。

最後の夜は、ミミちゃんと一緒に過ごしました。
ただただミミちゃんを見ながら、いろいろな話をする。返事はない。けれど、この時間だけは誰にも邪魔されたくなかった。

代わる代わるササちゃんと花ちゃんもミミちゃんを見に来る。そして、ミミちゃんの顔に鼻を近づけて、また静かに去っていく。多分、それがあの子たちのお別れの仕方。

翌日、火葬会社の車が来て、簡単な葬儀のようなことをしてくれました。
そして、「最後のお別れをどうぞ」と言われる。

火葬のときに一緒に入れられるものとして、ミミちゃんの好きだったペットフードとおやつを少し。
何を選んでも、足りない気がしました。

そして、元気な時に好きなだけ食べさせてあげればよかったなと、また、後悔の涙。

戻ってきたミミちゃんと、続いていく日常

最後にミミちゃんを撫でて、
「うちの子でありがとう。また、会える日まで待っててね」

そう言って、ミミちゃんの顔に自分の顔をつける。
耳元でもう一度、「ありがとう」とささやく。

荼毘に付されて、お骨上げをする。
小さな骨壺に入れられて、ミミちゃんは私の手元に戻ってきました。

いつも抱っことせまって、私が抱っこをすると嬉しそうに体を預けてきた。
今は、抱っこする骨壺が硬い。冷たい。

毎日、ミミちゃんのお水を替える。お花の水を替える。好きだったおやつを並べる。
お天気のいい日は、お気に入りの日向ぼっこの場所に骨壺を置く。

四十九日が過ぎて、誰もミミちゃんのことを言わなくなりました。
最初からあまり言わなかったけれど。
それでも、確実にミミちゃんが我が家から消えていきそうで、それがつらい。

夜、ベッドに入るとき、いまだに布団を少しあげて、
「はい。ミミちゃん、入って。今日は寒いよ」
と言っている自分がいます。

50代になって知った、心の回復の遅さ

若い頃は、それでも日常に追われて、何となく心の整理がつくのが早かった気がします。

でも、50代になって、可愛かった家族がいなくなる喪失感は、半端なく大きいことがわかりました。
心の回復は年代を重ねるごとに慣れてくると、若い頃は思っていたけれど、それが逆だということも。

寄り添い方も、どうしてほしいかも、人それぞれ

ペットロスは、人それぞれです。
悲しみ方も、対処の仕方も、癒されていくまでの過程も、心からちゃんとお別れができる時間も、みんな違う。

私は、人から優しい言葉をかけられても、
「そうじゃない」
と思ってしまうことがあります。

でも、友達が愛猫を亡くしたときは、やはり寄り添うべきだと思って、同じような言葉をかけていました。話を聞いて、否定せず、「あなたはよくやったよ」と言っていた。
逆の立場になると、すべてがつらい。

何を言われても「そうじゃない」って思える。

その友達が、私がその時に贈った花について、後からこう言いました。
「お花をもらったのが一番うれしかった」

言葉よりも、距離を保ったままの静かな気遣い。
だから私は、他の友達に会うときには、最初から「ミミちゃんの話はしないでね」と言っておくことがあります。そうしないと泣いてしまうから。心がまだ整理できていないままだから。

そして、友達を困らせてしまうから。誰かと話して癒される人もいれば、それができない人もいる。誰かと話して癒される時間が来るかもしれないし、来ないかもしれない。

ただただ、ミミちゃんがいない時間が過ぎていく…

私が「こう言ってほしかった」言葉

「寄り添う」というのは簡単です。けれど、寄り添い方も、どうしてほしいかも、人それぞれ。

私は、率直にこう言ってほしいと思います。

「あなたがどれくらい悲しいのか、私には想像もつかない。
だから、何をしてあげるのが正解なのかも正直わからない。
もし、してほしいことがあったら教えて。
その通りにするから。」

ミミちゃんが亡くなったすぐの時には、私はきっと「放っておいて」と言ったと思います。
でも、今なら、「ありがとう。ミミちゃんの話を聞いて。泣いちゃうかもしれないけど」と言えるかもしれない。

ペットロスは、比較できません。

悲しみ方も、心が受け入れるまでの時間も、みんなそれぞれ違う。
だからこそ、正解を急がなくていい。
心が追いつかない時間があることを、知っていてほしいと思います。

今日も、重い話でした。でも、今、この瞬間にでも、大切な家族を失ってどうしようもない喪失感や悲しみ、後悔の只中にいる人がいるかもしれない。

なんの救いもないけれど、悲しさに浸かって、とことん悲しみぬいて、心が少し動いたら、自分がしたいようにすればいいと思います。

あなたの大切な家族は、あなたの中にいます。いつか、思い出すことが少なくなってきても罪悪感を感じることもありません。だって、ずっと一緒にいるんですから。だから、飾ってある写真を見ても笑顔で「おはよう。今日もいいお天気だよ」っていえるようになるんだと思います。今は無理でも、いつか、きっと…

たくさん悲しんで、たくさん思い出して、泣きながら笑って…そうやって人は回復していくんだと思います。

今日も皆さんが健やかでありますように…

今日もお付き合いいただきありがとうございました。

ではでは。

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