後編:白昼夢とコーヒー占い
銅の小鍋で泡立つコーヒーを見つめながら、男性の心は過去と未来を行き来する。医師から告げられた余命宣告を妻に伝えるべきか伝えないべきか。白昼夢のように二つの人生が並行して映し出される。
告げた場合、妻は残された男性が困らないように、料理のレシピや家のこまごまとしたものが置いてある場所、タンスの中身、季節ごとの洋服の入れ替え方、書類の整理までノートにまとめる。きっと、残された時間を残していく私が困らないようにするために時間を使うだろう。
告げなかった場合、穏やかな日常が続く。二人で思い出の場所を巡り、ささやかな日々を重ねる。もしかすると、勘の良い妻のことだ。途中で自分の運命に気付くかもしれない。そこで、どうなるのだろうか…自分の運命を呪うのだろうか。静かに受け入れて、残りの人生を自分のしたいことや私と楽しむことに費やすと選択するだろうか…
いずれにしても、その時が来れば妻は入院し、男性が見守る中、息を引き取る。
男性はコーヒーの香りとともに、どちらの人生も愛おしいものだったと気づく。「妻は、僕がどちらを選んでも、笑って大正解って言ってくれたに違いない」と独り言。
カップの上澄みをすすり、「あの頃と同じ味だ」と呟く。マスターが微笑み「ありがとうございます。」とささやく。
「コーヒー占いは覚えていますか?」
男性はコーヒーを飲み終えたカップを差し出す。マスターはカップにソーサーを載せ、ひっくり返す。浮かぶ模様が示すのは、選択の正しさ。男性は深く頷く。
帰ろうと立ち上がったとき、ハンキングチェアに座る小さな影に目を留める。少年のような華奢な体、柔らかそうな薄茶色の髪、そして、不思議な色をした瞳。じっとその瞳を見つめていると、吸い込まれていきそうだ。そして、その瞳もうなずいているように見えた。男性は微笑みながら呟いた。「あぁ…君は」
静かに立ち去るとき、男性は心の中でつぶやく。「葬式の後、妻の遺品を整理していたら、私の好物のレシピや家のこと、ご近所の情報までまとめたノートがあった。どっちを選んでも、妻はきっとうなずいて笑ってくれたはず。どちらが正解なんてなかったのかもしれないし、どちらも正解だったのかもしれない…でも、ありがとう」
男性は、まだ知らないが、妻が残してくれたノートの最後のページには「Let’s enjoy第二の青春💕」と書いてある。
異国の香りとコーヒーの温かさが、立ち去る男性の心を静かに包み込む。Caféでの時間が、過去と未来をつなぎ、すべてを受け入れる安らぎをもたらしていた。