【猫とのお別れ】みーたんが旅立った日──お別れに「正解」はないけれど

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今日は、ちょっと切ない話を綴らせてください。

ねこの大切な友人が、一緒に暮らしていた三毛猫のみーたんを亡くしました。
その子は、長くて愛しい猫生を終え、静かに、でもとても穏やかに、旅立っていきました。

最後の瞬間まで、友人はずっと寄り添っていました。
「ありがとう」「大好きだよ」「ずっと一緒だよ」そんな言葉を、途切れることなくかけ続けていたといいます。

目次

どうやっても訪れる、猫とのお別れ

猫と暮らすねこ達にとって、「いつか来るお別れ」は、わかっていても受け入れがたいもの。
どれだけ愛していても、どんなにお世話をしていても、命はやがて終わりを迎えます。

でも、その最期に、ただそばにいてくれる存在がいるかどうか。
それだけで、猫達にとっては「安心して旅立てるかどうか」が決まるのかもしれません。

ねこが飼っていた何匹もの猫が虹の橋を渡っていきました。

何度も経験しても慣れることなく、毎回、新しい悲しみが襲ってきます。

「ほかにも猫ちゃんがいるじゃん」という友人もいます。でも、みんな、違うんです。他の猫がいても、虹の橋を渡ってしまった子は、その子だけなんです。もちろん、みんな大好きな猫たちです。でも、他の子がいるからいいでしょと言う話ではないんです。

「どうすればよかったのか」なんて、考えなくていい

お別れのあと、ねこ達はきっと思います。
「もっと撫でてあげればよかった」
「もっと遊べばよかった」
「病院を変えていたら…」

でも、どんなふうに見送っても、後悔がまったくないなんてことは、きっとありません。

それは、心から愛していた証拠。
そして、正解なんて、どこにもないのです。

友人も、悩んで悩んで、今は、きっと後悔のどん底にいると思います。

「あのとき、病院に行っていれば」

「もっと一緒の時間を作ればよかった」

でも、もうそれは叶いません。

最後まで「大好き」と伝えることが、猫への贈り物

友人は「今は何も考えられない」と言っていました。
何も考えなくていいから、たくさん泣いて、話しかけてあげてほしい。
友人は、何も考えられなくなるほど、全力でみーたんを愛していたんです。

猫達はきっと、そんなねこ達の姿を見て、「ありがとう」と思っているはず。
最期にそばで名前を呼んでもらえて、声を聞きながら旅立てる猫ほど、幸せな子はいません。

みーたんは、最後まで、友人やご主人の声を聞いて、昔話や楽しかったころのお話をたくさん聞いて、心安らかに逝ったと思います。

そして、いまは、泣いている友人のそばにいて「もう、苦しくも痛くもないから、ママも悲しまないで。泣かないで」って言っていると思います。

お別れのあと、ねこ達にできること

残されたねこ達にできることは

たくさん泣くこと

ありがとうってたくさん言うこと

思い出のものを飾ること

また会えるって思うこと

猫は、死んだら、毛皮を変えて元の飼い主の所に戻ってくるって言う話を聞いたことがあります。

みーたんは、三毛猫だったから、今度は真っ黒の子になってくるかな?真っ白な子になってくるかな?

どんな毛皮を着てきても、きっと友人は「みーたんだ」ってわかると思います。

猫と暮らすということは、命と向き合うこと

50代のねこ達世代にとって、猫はただのペットではありません。
ときには子どもであり、親友であり、人生の伴走者。

だからこそ、お別れは深くてつらい。
でも、それ以上に「一緒に過ごせた日々」は、かけがえのない宝物です。

どうか今、天国の猫達が穏やかに眠れますように。
そして、お別れを経験したねこ達が、ゆっくりでも前を向けますように。

みーたんが迷わず虹の橋を渡って、なるべく早く毛皮を変えて友人の元に戻ってこれますように…

みーたんのご冥福をお祈りいたします。

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